ちょっと一服しましょうか
タイトル |
ちょっと一服しましょうか |
表紙 |
相模 陸 様
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頒布日 |
2012/10/07(紅楼夢8) |
頁数 |
40P |
イベント価格 |
300円 |
自家通販 |
無し(200円) |
委託 |
メロンブックス DL(216円) |
outline
久しぶりに本を出しました。今回は、初の東方Project本となります。
美鈴など、紅魔館の面々が中心に登場します。
sample
「……また随分とがっちり着込んでるものですね」
咲夜さんは、結構、分厚い生地の寝間着を着ていた。そういえば、昨日の夜は少しだけ肌寒かったっけ。最近は、暑かったり寒かったり、なかなか気候が一定しない。私も、寒いからと毛布を引っ掛けて寝ていると、目覚めた時には朝には汗だくということが結構あった。しかし、外気に触れている額ですら汗まみれなのだから、この服の下はかなり凄まじい事になっていそうだ。
やれやれ、仕方のない。私は立ち上がり、彼女に胸元に手をやってボタンを外してやる。というより、このままだと見ているこっちの体温が上がりそうだ。見ているだけで、暑苦しくて仕方がない。
プチプチという音とともに、ボタンが外され、肌が露(あら)わになっていく。前をはだけさせ、完全にボタンを外してやると、下着も見えてしまうようになった。
うん、やったのは私だけど、実にだらしない。起きてる時には、絶対に見られない姿だ。手足を投げ出すようにして椅子に座り、背もたれに寄りかかり、惜しげも無く肌を晒している。服の下は額よりもさらに汗まみれだ。酷い酷い。これでは汗疹(あせも)になってしまいそう。額と同様に、そこも拭ってやる。
「よし。こんなものだろう」
拭き終わると、多少は涼しげになった。やや苦しそうに歪んでいた顔も、今は穏やかだ。
それにしても、改めて眺めてやると、なかなか凄い格好だ。普段の凛とした姿もそれは可愛らしいけれど、こうした歳相応の、無防備極まりない姿もまた格別……いやいや、そうじゃない。
ゆっくりと、その姿を眺める。
「しっかし、こうして全身を眺めてみると、実に大きくなったものだと実感するね。あのちっちゃな子供が」
ほんの少し前なら、この椅子は彼女にとってあまりに大きすぎて、座っていても転げ落ちそうに見えて冷や冷やさせられた。だけど、今じゃ誂(あつら)えたかのようにすっきり体が収まっている。
その光景に、流れた月日を実感する。彼女がこの椅子に座り始めたのは、一体いつのことだったのだろう。私にとってはほんの少し前。彼女にとっては、それなりに昔のことだったはずだ。
おそらく、来たばかりの館の雰囲気に慣れなかったせいだろう。心細かっただろう彼女は、起きている間は、一切、寂しそうな素振りなど見せず、しかし夜になって眠りに落ちる時間になると、私が寝ている間によくこの部屋へやってきた。そして、今座っているのと同じように椅子に座り、私が目を覚ますといつも寝不足のせいか船を漕いでいた。
子供の頃の彼女は、生来の頑固さに加えて異様に負けず嫌いで、私が大きすぎるから別の椅子を作ってあげると言ったのだけど、全く聞き入れずにこの椅子に座り続けた。別にこの椅子にこだわったわけではなく、私の言葉に腹を立ててしまって、意地でも他の椅子を使わないようにと誓ってしまったのだろう。以来、毎日毎日、この部屋にやってくる時、彼女は同じ椅子に座り続けている。
寝惚けている癖に、間違えたことはない。それは毎日毎日、同じ人間に使われ続けた椅子が、ついに根気負けして使用者に従っているのかもしれない。彼女なら、無機物すら従えていても不思議とは思わない。
つまりは成長したってことだ。良くも悪くも。
「……」
ただ、一点だけを除いて。
「ううむ。やっぱりペッタペタね」
私は椅子に座ったまま身を屈めて、彼女の胸元に顔を寄せる。どれだけじっくり見ても、そこには肉など付いていない。実際に手でも触れてみたけど、やはり頬のような柔らかさなど微塵も無い。
顔立ちは大人っぽくなり、背は高くなって肉付きも全体に良くなっているというのに、本当に、ここだけは妙に成長しない。真っ平らだ。
今、彼女は椅子の背もたれに寄りかかる――つまり、ふんぞり返っているわけで、胸は普段よりせり上がってるはず。なのに、この胸の大きさはちょっと余人が真似できるものじゃない。まるで肉の方がこの場所は嫌だと避けたのかと思うくらい、見事なほど肉付きが悪い。彼女がここに来た当初は、本当にガリガリの骸骨みたいで、男か女かも判断できないくらい痩せっぽちのチビだったけど、ここだけはその頃のままだ。うーん、やっぱりここの環境が悪いんだろうか。少なくとも、まともな人間の居るべき館じゃ無いしね。精神の負担は、成長を阻害すると聞く。
「ん……あう……」
そんな事を思いながら胸をまさぐっていると、彼女は呻きとも喘ぎとも取れない、何とも色っぽい声を出した。そして、目をゆっくりと開けた。さっきまでの、寝惚けた目の開き方ではない。はっきりきっぱりと目が合う。さすがに胸をまさぐられて、なお眠っていられるほど神経が太くはなかったらしい。
当然、私がするべきことは一つだ。
「おはようございます、咲夜さん」
「……」
挨拶は大事なことだ。互いの関係を円滑にする最良の潤滑油。朝、起きて誰かに会ったならまずは挨拶。これは、人妖の別など関係ない礼儀である。もちろん、彼女がまだ下っ端のメイドだった頃、私が教えこんだ事でもある。
しかし、彼女は挨拶を返してくれない。私から目を逸らしてしまう。
彼女の視線の先を見る。それは、当然、自分の胸元だ。
「あはは。目が覚めました?」
「……ふん」
直後、実に気持ちの良い破裂音が、部屋の中に響いた。実に良い音で、おそらくは館中に響き渡ったことだろう。私は今でも、掌底であの音が出せたのなら、その瞬間が武術家としての最高の到達点だと信じている。
「まあ、まずは一服しましょうよ。ああ、いや。すみません。謝りますから、その目は止めてくれませんか? いや、本当に。結構、胸に刺さるんですが」
ヒリヒリと火傷したかのように痛む頬をさすりながら、私は蓋碗(がいわん)を差し出す。目の前で、膨れっ面を隠そうともしないメイド長は、涙目である。その視線が、実に痛いのなんの。いっそ、怒鳴り散らしてくれた方が気が楽だった。
ともあれ、私のさほど心の篭ったように聞こえない謝罪でも、それなりに効力を発してくれたのか、咲夜さんは私の手から、毟り取るように碗を取ってくれた。
喉を鳴らしながら飲み干す。碗を下ろしたが、彼女の目は、まだ焦点が少し合ってない。どうやら、目が覚めきっていないようだ。私は、また引っ叩かれないかと少々びくつきながら、彼女の蓋碗に缶からお茶を注ぎ足す。そいつも、彼女は一息に飲み干した。空になった蓋碗を卓に置くと、ようやく意識がはっきりしてきたのか、目の焦点が合ってきた。
そして、私と目が合うと、少しぼうっとした顔で考えこみ、直後に顔を背ける。その頬は、部屋の暑さのせいだけでは説明がつかないほど赤く染まる。
「ああ、その。すみません。配慮が足らなかったですね。いや、別に厭らしい気分で服を脱がせていたワケじゃないんですよ。断るまでもなく当たり前のことですが、はい。ちょっと汗をかいてまして、それを拭いてあげようとしてですね……」
「子供扱いしないで頂戴な」
「あ、はい。すみません」
私の謝罪を軽くいなして、メイド長はそっぽを向く。
子供扱いされて怒るのが子供の証拠だと思うのだけど、黙っていよう。指摘なんてしたら、今度は平手が拳になって襲ってきそうだ。うん、私は空気が読める女――って、それはどっかの天空を漂っている変な妖怪の専売特許か。まあ、あまりつつかない方が良いだろう。
触らぬ神に祟りなし、というのでも無いけれど、何となくおっかなびっくり、ふくれっ面のメイドの様子を窺っていると、いきなり目の前が湯気に覆われた。
「うわっ」
思わず、軽い驚きの声が漏れる。卓の上に目をやると、パンとスープがいつの間にか並べられている。湯気は、見るからに美味しそうなスープから生まれている。どうやら、お得意の時間停止させている間に持ってきたらしい。私から見ると、忽然と現れたようにしか見えないから、いつも驚かされてしまう。
ちらりと、彼女の方に向き直ると、膨らんだ頬はそのままに、少しばかり目が輝いていた。してやったり、と叫びたいのを堪えているような顔だ。お返し、とでも言いたいんだろうか。本当に、子供っぽいというか何というか。でも、それで機嫌が直ってくれるのなら、私としても万々歳だ。
「美味しそうですね。頂きます」
私は、苦笑いしながらパンを手に取り、スープの皿の上に載せる。カビが生えないように、湿気を飛ばしたパンは、歯でもなかなか噛み切れないほど硬い。だから、スープの湯気でふやかして、それから食べるのだ。
スープは美味しそうだけど、手の込んでいるというよりは、出来る限り手早く作れるように適度に手抜きした食事だ。簡単にすぎる食事だけど、毎日毎日、豪華な食べ物を出されても、食べる方は胃がもたれてしまうし、作る方は大変だ。パンもスープも、手がかかっていない、実にあっさりとした食事。
柔らかくなったパンを千切りながら、口に運ぶ。それを二人して食べる。
「うん、美味しい」
「どういたしまして」
これが、私と彼女の毎朝の光景だった。いや、引っ叩かれるのは毎日ではないけれど、寝ぼけた姿を見られるという醜態を恥ずかしがって、彼女がそっぽを向くのはやはり毎日のことだった。
だらしないにも程がある朝の彼女だが、普段が真面目すぎるほどに真面目だから、そんな明らかな欠点すら美点に見えてしまう。可愛くて可愛くて仕方がない。身内の贔屓目といえばそれまでだけどね。
それは、私にとって小さな勲章だ。普段は誰に対しても穏やかに対応する彼女が、こんな姿を見せるのは私だけ。それは、それなりに大きな自慢の種である。口に出したら、せっかく直ってくれた期限がまた斜めになるから言わないけれど。
「それにしても、無理矢理にでも起こしてくれればいいのに」
まだ根に持っているのか、彼女は軽口を叩く。しかし、実際問題、起こそうとしても起きるものじゃない。彼女の寝起きの悪さは、筋金入り。それは、ほぼ毎日、朝食に付き合っている私がよく知っている。
「無理に起こそうとすると寝ぼけてナイフ振り回すことすらあるので、とてもではないが無理です」
「避けなさいよ、それくらい。何のために武術を嗜んでるのよ?」
この子はいきなり何を言い出すのか。
「少なくとも、身内からの攻撃を警戒するためじゃないですよ。怪我したら、どうするんですか」
「そんなんで門番なんて勤まるの?」
「武人ってのは無用の戦いは避けるもんです。つまらん戦いで怪我して、戦うべき場所で戦えないのは恥以外の何物でもありませんから」
そう言いながら、実際に戦うべき場所なんて、この幻想郷に存在するんだろうかと疑問に思う。絶妙に調整された天秤も、裸足で逃げ出すほど巧妙に仕組まれた世界。妖怪はもちろん、人間にとってもある種の理想郷たるこの世界で、まともに戦いなんてあるわけも無し。
まあ、無駄な技術なんてこの世には腐るほどあるし、身についた技術をわざわざ捨てる理由もないし、別にいいかと思い直す。
どうせ、借金取りの妖怪たちから逃げ延びるために身につけた技術だ。この幻想郷に来てから、追われる心配なんて無くなったし、そもそもここに来る前から、私の武術の技を披露する機会はなくなっていた。
吸血鬼として成長したお嬢様に、わざわざちょっかいを掛けに来る妖怪の類は激減していたし、やってくるのは吸血鬼相手でも戦う術を持つような一廉(ひとかど)の妖怪たち。そんなのに、私の拳が敵うはずもない。結局のところ、中途半端なわけだ。
だから、純粋な勝負を申し込まれ、武術を披露する今の生活は、間違いなく気に入っている。いつまで続くのかは知らない。
「ま、とにかく。寝顔を見られて恥ずかしいのなら、せめて目を覚ましてから部屋に来て欲しいですね」
「うう……」
顔を拭かれても、髪を整えられても、服を脱がされても反応しないようじゃ、無理だろうけど。その辺りのことは自覚しているのか、咲夜さんは口元を引きつらせるだけで、反論しなかった。つまり、実のところ、彼女も自分が理不尽な事を言っているという自覚くらいはあるのだ。
少々――いや、結構、甘やかした感がある。ちょっと、やり返してみようか。もちろん、これは教育のためであり、ばつが悪い顔をしている彼女を見ていると、ちょっとした悪戯心が湧いてきたからでは断じて無い。
「全く。お嬢様よりも、よほど手がかかりますよ。そんなんじゃ、お嫁さんにもなれないですよ」
「え?」
咲夜さんは、一転して呆けた顔になった。あら、おかしいな。反応が、予想していたものとちょっと違う。また照れに照れて、顔を真っ赤にしてくれると思ったのに。
まだまだ彼女は二十歳にもならないけど、結婚というのはそろそろ現実的な未来として見えていてもおかしくない。なのに、まるで異人の言葉を聞いたかのような反応だ。
「いや、やっぱりそれなりに家事もできて美人な咲夜さんなら、そろそろ結婚も考えて良い時期なんじゃないかなと」
「あっと……まあ、そうね」
咲夜さんは、憮然とした表情になる。何が気に入らないんだろう。そこまで変な事を言っただろうか。咲夜さんは、少々、乱暴にパンを引きちぎる。まるで親の仇のように。なぜか背筋が寒くなってきた。
「……私のことは心配ご無用。だいたい、それだとお嬢様はどうなるのよ」
「お嬢様が?」
あの子が結婚……ね。うーん、確かに年齢だけ見れば、咲夜さんよりもお嬢様の方が、よっぽど真剣に考えなければならない歳だろう。見た目はともかく。
しかし、我儘、尊大、自分勝手となかなか擁護できない性格の彼女を貰ってやるという勇敢な男が、果たして幻想郷にいるのだろうか。正直なところ、想像ができないな。
いや、そもそも彼女が、男に惚れるものだろうか。お嬢様が、どこかの誰かに、箸でおかずを一つ摘みあげて、口元に持っていって食べさせてあげる姿を想像してみる。そして、相手の頬にご飯粒がついているのを発見して、それを照れながら摘み、自分の口に持っていく。
「……うわあ」
駄目だ。気色悪すぎて、脳が引きつりそうになる。